読書録K

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GWも仕事でへとへとな人に薦めるNetflix映画5選

今週のお題「ゴールデンウィーク2017」

 仕事でへとへとになっていると、ゴールデン・ウィークも何もない。人によっては連休のどこかで、溜まったタスクを片付けに行っていらっしゃるだろうか。しかもあと3日しか残ってねえや。そんな方が、つかの間、心をリフレッシュするのにネット動画サービス「Netflix」を推したい。携帯にダウンロードすれば、少なくともGW中は無料で見られる。Wi-fi環境がなくても、この数日のデータ使用はそこまでひびかないだろう。数あるラインナップの中で、仕事で疲れた人におすすめの作品を紹介する。

 

 ①ジャッジ!(2014年、永井聡監督、出演:妻夫木聡、北川景子ほか)

ジャッジ! [DVD]

ジャッジ! [DVD]

 

  うだつのあがらない広告マン・太田喜一郎(妻夫木聡)が、上司が取引先案件で作ったしょーもないCM作品を、なんとか「国際広告祭」で勝たせろと厳命を受ける、ザ・会社員映画。太田は広告が大好きで、広告の力を信じて入社したものの、いまだそういう仕事をできた実感はないまま、今回も無茶ぶりをされた形。それでも「仕事だからやらなくちゃ」と奮闘する様子が、心に沁みる。

 この広告祭でも、「いい広告とは何か」を度外視した広告代理店間のパワーゲーム、つまり「今回は彼を勝たせなくちゃ、次の仕事に影響するよ」というやり取りが渦巻くのが面白い。結局、仕事は、「やらなくちゃいけないから、やる」から逃れられないんだよなあ。

 でも太田は、その広告祭にまっすぐぶつかることで「やっぱり広告が好きだ」というポジティブなエネルギーを再燃させて、周囲も巻き込んでいく。鑑賞後「いろいろしんどいけど、仕事ってやっぱりいいじゃない」という、無理のない光が、心に差してくる。

 

②深夜食堂(09年、3シーズン+オリジナル、出演:小林薫ほか)

映画 続・深夜食堂 DVD通常版

映画 続・深夜食堂 DVD通常版

 

  ネットフリックスの強みはオリジナル作品が豊富で面白い点で、テレビドラマ「深夜食堂」の続編もその一つ。東京の片隅で、深夜から未明にだけ開く食堂を舞台に、マスター(小林薫)と訪れる客の悲喜こもごもを描いている。元祖のドラマシリーズも、どの回もじんわりと伝わってくる。

 働いて働いて、ようやく職場を離れたときに「まだ今日が終わってほしくないな」という切なさを感じた人はすくなくないと思う。深夜食堂には、そうやってまだ明日を迎えられない色んな事情を抱えた人が足を運ぶ。

 ウインナーだったり、卵焼きだったり、毎回キーとなる一皿がまた良い。飲み屋に寄らずに家に帰って、焼くだけ炒めるだけの簡単なつまみとともに、ほっと一息をつきたくなる。

 

③バクマン。(15年、大根仁、出演:佐藤健、神木隆之介ほか)

バクマン。DVD 通常版

バクマン。DVD 通常版

 

 「漫画家になりたい」(夢)と「漫画家でいる、い続ける」(現実)とのギャップがこれほどまでに過酷なのかという点で見ると、これもザ・お仕事映画。

 そもそも漫画家のおじさん(宮藤官九郎)が命を落としているわけだが、主人公の最高(佐藤健)はそれでも勝負所で明らかに過労の体を引きずって連載に臨む。替えがきかない恐ろしさとともに、「生み出す」ことのすごみが身に迫る。

 そうやって生み出す作品は、しかしながら、自分が面白いと思う漫画と「求められる」エンターテイメントの妥協点でもあるのが真実味がある。もし、今春に入社した新入社員で、GWに早速「本当にこの会社の仕事は、自分のやりたかったことなのかな」と悩むようであれば、「バクマン。」は示唆に富んだ作品になると思う。

 同じような「はざま」での揺らぎを描いているのがNetflixオリジナルドラマ「火花」。又吉直樹さんの小説も面白かったけど、ドラマも独特のとげがあって◎。

www.hibana-netflix.jp

 

 ④箱入り息子の恋(13年、市井昌秀監督、出演:星野源、夏帆ほか)

箱入り息子の恋 DVDファーストラブ・エディション

箱入り息子の恋 DVDファーストラブ・エディション

 

  「逃げ恥」でこじらせた独身男を演じた星野源さんが、「箱入り息子の恋」ではさらに苦しさを背負う、ほとんど対人恐怖症に近い公務員・雨雫健太郎を演じている。親主導の見合いで目の不自由な今井奈穂子(夏帆)に出会うわけだが、夏帆の父親バリキャリで、明らかに健太郎を見下して、交際を認めない。でも、「誰からも理解されない」とつらい思いをしてきた健太郎だからこそ、「誰にも気遣われる」奈穂子の内面にそっと触れることができる。

 健太郎が劇的に変化してハッピーエンド、とはならず、やっぱり屈折したままだし、ただでさえ不利なのにトラブルが重なる。そこからの突破がハチャメチャで、仕事で難しい案件を抱えていても、「なんとかなりそう」という根拠のない自信がもらえるかもしれない。恋愛映画だけど、「人と人が出会い、成長する」普遍性が強く、誰でも楽しめると思う。

 

⑤ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い(09年、トッド・フィリップス監督、出演:ブラッドリー・クーパーほか)

  仕事全く関係ないです。結婚式を控えた新郎ダグが、悪友2人と新婦の弟(スチュ、フィル、弟アラン)と「独身最後のばか騒ぎ」をしにラスベガスへ。「史上最悪の二日酔い(ハングオーバー)」をして目覚めると、なぜか見知らぬ赤ちゃんが部屋にいて、本物のトラもいて、だけどダグが行方不明で、なのに誰も前夜の記憶がないという惨状が広がっていた、さあどうする?というお話。

 コメディなのに、飲み過ぎて記憶が吹っ飛んでるのが効いて、「何をしでかしちゃったのか」を解き明かすミステリーでもある。最初の奇天烈な状況もすべて伏線として回収してくれた。まあそんなことよりひたすら笑える。はまれば、続編もあるし、数日は飽きずに楽しめる作品です。

狂っていく最中に狂っているとは気付けない―「成功者K」

 芥川賞を獲得した男性小説家Kは一夜にして「成功者」となった―。本書「成功者K」のあらすじだけを見ると、著者羽田圭介さんの私小説に思えて仕方がない。これが作品の最大のスパイスになっている。Kは成功を機に、ファンの女の子をとっかえひっかえにして情事を繰り返し、テレビ出演にも積極的になり、高級車を乗り回す。これは現実のデフォルメなのか、完全な作り話なのか、羽田さんが書くからこそ、幻惑される。

成功者K

成功者K

 

  帯で又吉直樹さんが書いているように、主題である「マスメディア」の怪物っぷり、その背に乗って操っているようで、実際は手のひらで踊らされてるKの翻弄ぶりが楽しみの一つではある。自分がそれ以上にぐっと来たのは、「ああ、こうやって人は変わっちゃうもんなんだなあ」という恐怖だった。

 

 小説家Kは「成功者K」になった後で、傍目に見て態度や性格が変質していく。その変化は、最初はごくちっぽけなことだ。たとえば、鳴かず飛ばずの時代から交際していた彼女との休暇にのんびり旅行に行くかどうかをめぐって。

 (ブログ主注:テレビのロケ番組は)スタッフたちが面倒くさい手続きを経て用意してくれた行路を、ただ身一つで行くだけで特別な体験ができたし、おまけに出演料までもらえた。仕事で、旅をした。

 するとKの中で台湾や四国やバリで羽を伸ばすことが、あまり魅力的に感じられないように思えた。宿泊先やグルメも、金を払ったぶんだけの楽しみしか享受できず、たとえ金を積んだとしても特別な場所には入れない。(P57)

 彼女の立場からみれば「仕事の旅行と、大切な人との旅行を並列で比較するのがそもそもおかしくない?」と思う。しかし、成功者になったKには、彼女との旅行にそそられないのが「自然」になってしまっている。自分がたどりついた「成功者」の目線で考えれば、それが一番合理的で、納得できる答えに見えてしまう。

 凡人である自分からするとKはこんな調子を繰り返して、徐々に徐々に、尊大になっていく。川の流れからほんの少しそれて流れ出した支流が、いつのまにか本流を越す強い流れになってしまうように、「成功者K」がKその人になっていく。

 成功者Kは、芥川賞を手にしてからさらに多くを手にしていくような感覚を持っている。都合よく情欲を満たせる女性ができた。それも何人も。テレビ出演のギャラ交渉を覚え、出演料をつり上げる方法を覚えた。バラエティーでの立ち振る舞いも分かり、仕事はさらに仕事を呼んでいく。それが昔のKからすれば「おかしい」状態だとは思いもしない。「おかしさ」すらも成長に感じてしまう。

 そしてKは、最近度々、先輩作家たちからのそういった依頼や文庫本解説等、断りまくっていることを振り返る。先輩や、お世話になった人たちからの頼みを断るなど、昔の自分だったら考えられない行動だが、忙しいのだから仕方ないとKは思う。しかし、それらを断る際、妙な快楽が付帯していたことも、否定できなかった。まるで自分にはそういう行いをする力が備わったとでもいうように。否、むしろ、昔からそういった力を自分は有していたような気さえKにはした。(P88)

 

 人は狂っていくまさにその最中に、自分が「狂っている」とは気付けない。それが物語を読んでいて、一番恐ろしいと思ったことだ。何度も、何度も「K、気付くんだ」「いまならまだ立ち止まれるぞ!」と言いたくなった。

 Kはいったい、どこで狂気を止められるのか、それとも止められないのか。それがストーリーの核心でもあるので言及は控えるが、ラストはなんというか、読者が羽田さんの手で踊らされたなというか、なんだこれは!?というものだった。

 

 余談になるけど、狂っていく自分をどうやって立ち止まらせられるのかを考えたときに、ネットで拝見した過労自殺がテーマの漫画が頭に浮かんだ。

cakes.mu

 成功も一種の麻薬だけれど、過労も狂気の一本道の別形態なんだろう。それもさらにおそろしい、命の危険がある道。漫画の作者汐街コナさんは、戻れなくなる前に「考えられるうちに立ち止まろう」と呼び掛ける。大切なメッセージだ。

トランプを生んだ「絶望の吹きだまり」―「ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち」

 トランプ氏が、どうして米大統領になれたのか。その背景に「ラストベルト」(錆び付いた地帯)と呼ばれる衰退した工業地帯がある。黒人やヒスパニック系移民が、米社会のマイノリティかと思っていたが、ラストベルトの白人労働者こそ鬱屈した閉塞感を抱えていて、それをすくい上げたのがトランプ氏だった。その「声なき声」の正体を垣間見させてくれるのが、本書「ヒルビリー・エレジー」だ。

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

 

◎行き場のない苦しさが生む他責

 ヒルビリーは「田舎者」、エレジーは「哀歌」を意味する。著者のJ.D.ヴァンス氏はラストベルトに位置するオハイオ州の鉄鋼業の町で育った。一家の出身はアパラチア山脈に近いケンタッキー州東部で、自らも家族も、ヒルビリー的生活を送ってきた。

 そのため本書は取材によるノンフィクションより、メモワール(回想録)に近い。だがヴァンス氏は紆余曲折を経て大学で学び、弁護士になった方で、社会学的分析を随所に織り込んでいる。当事者であり観察者という絶妙な立ち位置から、ヒルビリーの悲しみ、苦しみ、やりきれなさを描いていく。

 冒頭、タイル会社に勤めていた際の同僚、ボブが登場する。ボブにはガールフレンドがいて、妊娠もしている。しかし欠勤常習者で、トイレ休憩を30分も1時間も取るために、当然ながら解雇されてしまう。著者は思う。

 タイル会社の倉庫で私が目にした問題は、マクロ経済の動向や国家の政策の問題よりも、はるかに根が深い。あまりにも多くの若者が、重労働から逃れようとしている。良い仕事であっても、長続きしない。支えるべき結婚相手がいたり、子どもができたり、働くべき理由がある若者であっても、条件のよい健康保険付きの仕事を簡単に捨ててしまう。

 さらに問題なのは、そんな状況に自分を追い込みながらも、周囲の人がなんとかしてくれるべきだと考えている点だ。つまり、自分の人生なのに、自分ではどうにもならないと考え、なんでも他人のせいにしようとする。そうした姿勢は、現在のアメリカの経済的展望とは別個の問題だといえる。(P15)

 

 また、こんなこともあった。

 私はミドルタウンのバーで会った古い知り合いから、早起きするのがつらいから、最近仕事を辞めたと聞かされたことがある。その後、彼がフェイスブックに「オバマ・エコノミー」への不満と、自分の人生へのその影響について投稿したのを目にした。(P304)

 こうした投げやりで他責的な態度の源泉は、ラストベルトの、ヒルビリーの、出口のない苦しみだと著者は指摘する。やり場のないつらさの上に「自分が悪い」と思うのは難しい。誰かを責めずにはいられない。では、その苦しみとは何なのか。

 

◎いいターミネーターと悪いターミネーター

 著者の人生を振り返る形で浮かび上がってくる苦しみの大半は、家庭とコミュニティに起因する。母親は離婚と新しいパートナーとの交際を繰り返し、家は喧嘩の怒号が飛び交う。薬物中毒にも陥っている。今日暮らしている男の家を、明日には追い出されるかもしれない。不安定な母親の感情の矛先がいつ自分に向くかは分からない。

 望まない妊娠、進学を諦める、パートナーをとっかえひっかえ、子どものネグレクトや虐待。それは著者の住むコミュニティにありふれていた。安定した仕事のない中で、平穏な生活を送ることはどれだけ可能なんだろうと思わされる状況だ。

 著者が幸いだったのは、頼れる祖母の存在だった。口は悪いが、母親といられないときに逃げ場になってくれた。ヒルビリーの生活を抜け出すには、とにかく勉強することだと言ってくれた。「お前はできる」「自慢の孫だ」と褒めることやめなかった。

 荒れ狂う日常をなんとかくぐり抜け、著者は高校卒業後、海兵隊に入り、大学への進学。人生の針路を明るい方に進めることができた。海兵隊の給与で家族に食事をごちそうできたとき、著者はこんな風に感じた。

 それまでの人生、私はずっと、最悪の時期に感じる恐ろしさと、最高の時期に感じる安心感・安定感のあいだを行ったり来たりしていた。悪いターミネーターに追い掛け回されているか、いいターミネーターに守られているかのどちらかなのだ。

 しかし、自分自身に力があるという感覚は持ったことがなかった。(P264)

 

 ヒルビリーの子どもたちは、絶えず自分は無力だと思い知らされて過ごす。そうして行き着くのは、「自分の人生は自分ではどうにもできない」という感覚だ。これを「学習性無力感」と呼ぶ。望んでいないのにすり込まれた無力感をはさめば、トランプ氏は「いいターミネーター」に見えたのかもしれない。ターミネーターに人生を委ねる限り、無力感が消えないとしても。

 

◎足りない「社会関係資本

 学習性無力感を解消すること、またはそれを抱えて人生を好転させることは極めて難しい。著者にとっての祖母のような存在がいれば、まだ光がある。

 著者は弁護士になるために通った名門イェール大学ロースクールで、ハイソサエティの人々はこの「光」をあまりに多く持っていることを知る。お金や不動産に限らず、自分を支えてくれる身近な人、そこから得られる学びや肯定感もまた、重大な資本だと。それは「社会関係資本」と呼ばれ、ヒルビリーは圧倒的に足りていない。それをごく分かりやすく、次のように記している。

 社会関係資本はつねに、身の回りにある。うまく使えれば、成功につながる。うまく使えなければ、人生というレースを、大きなハンデを抱えたまま走ることになるだろう。

 私のような境遇で育った子どもたちにとって、これは大きな問題だ。

 以下に、イェールのロースクールに入学した時点で、私が知らなかったことを列挙してみよう。

 ・仕事の面接に行くときは、スーツを着る必要がある。(中略)

 ・テーブルの上のバターナイフは、たんなる飾りではない(とはいえ、バターナイフを使うより、スプーンや人さし指を使ったほうが、万事うまくいく)

 ・合成皮革と本革は、ちがう素材である。(P344-345)

 

 著者は、ヒルビリーの抱えるものを「絶望の吹きだまり」と表現する。経済的衰退だけでなく、学習性無力感も、社会的資本の不足も、そこに澱のように重なっていく。一つ一つ乗り越えるには、あまりに多くのものが溜まりすぎてしまったのかもしれない。トランプ大統領がこの吹きだまりを崩すのか、さらに絶望を放り投げるのかは、まだ分からない。