読書録K

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ここも戦場だという叫び―ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか

 

ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか (集英社新書)

ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか (集英社新書)

 

  フリージャーナリストから現役通信社記者、新聞社特派員OBなど、多種多様な国際報道従事者が、「なぜ自分は『戦場』を取材するのか」「報道はなぜ必要なのか」を経験ベースで語った本。執筆者は10人にのぼる。

 

 初めにアジアプレス・石丸次郎氏が出版の経緯に触れ、背景に日本社会の報道、それを支える社会の風潮への危機感を示している。過激派組織「イスラム国」(IS)による、後藤健二さん殺害事件で感じた「自己責任」の風潮。その後、新潟在住のジャーナリスト杉本祐一さんに国が旅券返納命令を出した事件。紛争地や、国際政治の狭間で劣悪な環境に置かれている地域の取材が、「勝手な行為」とみなされることへ、説明責任を果たしていこうというのがその趣旨だと感じた。

 

 どのジャーナリストの経験も、肉厚だった。目の前で飛び交う銃弾。一歩で違えた生と死の境界。政府発表とは全く異なり、民間人の犠牲が明かな空爆現場。帯に書かれているとおり、「誰かが行かなければ世界を見る『眼』が奪われる」。その重みを観念論ではなく現実として理解できる内容だ。

 

 読後になおさら強まった疑問は「どうして、ここに書かれている信念の重要性は社会に共有されないのだろう」ということだった。日本国民が内向きになっているとか、ニュースが読まれなくなり大事にされなくなっているとか、返答の仕方は様々ある。でももしかしたら、危険地取材が尊ばれるのではなく責められるのは、「日本だって」、もっとえば「危険地も大変だろうけど、私だって大変なんだよ」という叫びなんじゃないかと、そんな思いがよぎった。

 それはブラック企業なのかもしれない。保活かもしれない。低賃金労働かも、過労かも、結婚できない悩みかも。孤独を抱え、顧みられなかった思いをじりじりと焦がす人たちが、果たして「戦地を取材するジャーナリストは必要だ」と思えるんだろうか。それよりも、ならば自分のこの声を代弁して、苦境を変えてほしいと思うんじゃないか。

 

 日本を飛び出して、苦しむ人々に寄り添おうとするジャーナリストを認められないのは、この社会の閉塞感より、生きづらさを示しているように思えた。