読書録K

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プーチンの心臓と犬笛―「ユーラシアニズム ロシア新ナショナリズムの台頭」

 なぜこの人は、ムキムキマッチョ、筋骨隆々なのか。独特の威圧感を備えているのか。見る度に不思議が募るのが、ロシアのプーチン大統領だった。昨年秋、安倍晋三首相の地元・山口に来訪するニュースを機に、疑問を解消しようと書店を見て回った結果、手に取ったのが本書「ユーラシアニズム ロシア新ナショナリズムの台頭」だった。表紙には、流し目で不敵な笑みを浮かべるプーチン氏。元外交官・佐藤優氏の「プーチン地政学戦略を見事に解明」。地政学、何となくプーチン氏らしいワードだ。

ユーラシアニズム ロシア新ナショナリズムの台頭

ユーラシアニズム ロシア新ナショナリズムの台頭

 

  フィナンシャル・タイムズ紙の元モスクワ支局長だったジャーナリスト、チャールズ・クローヴァー氏が執筆。半生記のような「プーチン本」ではなく、彼の思想的な核心に迫っている。

 終章まで527ページで、正直、かなり難解。100年単位でロシア近代史、思想史を俯瞰しつつ、1人1人の思想家の人生を丹念に書き出す。読後にうっすらと見えてくるのは、プーチン大統領の外殻をめくった先に潜む、「心臓」と呼べる部分だと思う。

 

◎ユーラシアを統合せよ―プーチン大統領演説から

 表題の「ユーラシアニズム」とは、ロシアが位置するユーラシア大陸を統合し、超巨大・大陸国家を指向する政治思想のことだと思う。 ユーラシア大陸と言うのはすなわち、現ロシアだけでなく、旧ソ連領域も含み、場合によってはモンゴルや中央アジアも含んでしまう。「帝国」の再現だ。自信がないのは、本書はユーラシアニズムとは何かを書いているのではなく、「それがなぜ生まれ、育ったのか」に焦点を当てているからだ。

 クローヴァー氏は2012年12月のプーチン演説を出発点にする。

 「誰が先陣を切るか、誰が片隅に取り残され、独立を失うかは、国家の経済的潜在力にかかっているのではなく、主として各国民の思想、内なるエネルギー、つまりレフ・グミリョフが言うところのパッシオナールノスチ、すなわち、前進し、変化を受け止める能力にかかっているのです」(P18)

 この「パッシオナールノスチ」というのが、ユーラシアニズムの源流だという。ではグミリョフとは誰か?なんと、さかのぼること100年、1900年代前半の生まれで、しかも1930~40年代、スターリン治世下にシベリアの強制労働収容所に入れられている人物だ。「国の反逆者」の思想が、国家元首の原点ということになる

 

◎収容所で生まれた「情熱」

 実際、グミリョフが収容所にぶちこまれなければ、パッシオナールノスチは生まれなかった。それは「パッション(情熱)」と相通じる概念であるとともに、「受苦の力」を内包している。困難に直面したとき、ひとはどうなるか。グミリョフは強制収容所で、ホッブズ的な「万人の万人に対する闘争」ではなく、「掟」と「共同体」が発生する様子を目の当たりにする。

 二人か四人のグループを結びつけていた原則は、「一緒に飯を食う」、つまり食料を分け合うことだった。これは本当の共同体で、おたがいを助け合うのだ。こういう仲間ができるのは、おたがいが内心で共感できる何かを持っていることが決め手になる。(P159)

 ここでグミリョフは、社会的共同体の発生は「人間の本能」だと直感する。だからこそ、国家建設、統合も、究極的には「強力な衝動」を信じて突き進むことで、人と人、共同体と共同体が結び付き合う。グミリョフはダーウィンの生存競争と反対に「相互補完性」、すなわち人間は自然状態では「蹴落とし合う」のではなく「互いの欠点を補い合う」のだとも語っている。

 だからパッシオナールノスチを推し進めると、「自然に」、ユーラシア大陸の様々な国家は「補完しあう」ということになる。要するにプーチン大統領は、ロシアがユーラシアの大連盟を築こうとするのは、一国家の拡大主義ではなく、「自然な現象」、「人間の本能」だと言いたいわけだ。

 

新右翼が育てた「地政学

 なぜグミリョフのパッシオナールノスチが、国家元首の中枢に根付いたのか。この間を結ぶ人物として、著者はアレクサンドル・ドゥーギンという新右翼思想家を挙げる。「反逆者」の理論を「新右翼」が育て、「国家元首」へ。すさまじい話だ。

 1980年代、政治思想や芸術を語り合うアングラネットワークの会合に現れた青年。それがドゥーギン氏だった。反ユダヤ主義。ナチズムへの傾倒。陰謀論をかき立てる地下新聞のライターでもある。

 過激な言動で存在感を発揮していた彼は、ロシア軍部に向けた講習などで、ある地政学理論を題材に取り上げる。現在も有名なマッキンダー氏のパワー論だ。シーパワー(海洋国家)とランドパワー大陸国家)という視点で国際政治を見通したり理論だが、なんとドゥーギン氏が取り上げるまで、マッキンダー氏はまったくの無名だったらしい。やがてドゥーギン氏の手でパッシオナールノスチは地政学と結びつき、ユーラシアニズムという具体的な「国家戦略」と化していく

 ドゥーギン氏が驚きなのは、2014年のクリミア危機を予想していたという点。それもユーラシアニズムを下敷きにすると不思議ではない。ウクライナ東部の住民の意思、「本能」に呼応する形で発生したのだ、と。

 

 それは昨今話題の「忖度」に近いものかもしれない。実際、著者クローヴァーはロシア政治を解き明かすものとして「犬笛」という言葉を使う。犬しか聞き取れない特殊な音を鳴らす、すなわち「言外ににおわせる」メッセージが、政治を動かしている。パッシオナールノスチは、外交戦略を「人間の自然意思」にすり替える。ユーラシアニズムというプーチン大統領の犬笛を聞いた政治機構は、あくまで自然な風に、統合の動きを進める。指示ではなく、強制ではなく、本能だと言われたとき、いかに無理やりな併合も侵攻も、正当化できてしまう恐れがあるのだ。