読書熊録

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対話こそー読書感想「CRISPR(クリスパー)究極の遺伝子編集技術の発見」(J・ダウドナ)

 科学技術が天使になるか、悪魔になるか、決めるものはなんだろう?

 「CRISPR(クリスパー)究極の遺伝子編集技術の発見」の著者であるカリフォルニア大学バークレー校のジェニファー・ダウドナ博士は、「対話」だと説く。クリスパーはまさに、夢の技術だ。遺伝子に由来する難病を、遺伝子を編集することで後天的に治せるかもしれない。生産効率のいい家畜や魚に改良できるかもしれない。一方で、ヒトに応用された時にそれは、優生思想的な命の選別や改造人間を生みはしないだろうか?

 行く末を決めるのは、クリスパーそのもではない。突き詰めればそれは、「人は自然にどう向き合うか」であり、「人間はどう生きるのが『善い』のか」である。その問いに答えはないとしても、語ろう。ダウドナ博士はその対話の一歩として、本書を我々に届けてくれたんだと思う。サミュエル・スターンバーグ共著。櫻井祐子訳。文藝春秋。

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CRISPR(クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見

CRISPR(クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見

  • 作者: ジェニファー・ダウドナ,サミュエル・スターンバーグ,櫻井祐子,須田桃子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2017/10/04
  • メディア: 単行本
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 分子のアーミーナイフ

 クリスパーとはどんな技術か。残念ながら、この場でうまく説明できる自信がない…。だけど、気に入っているフレーズがある。それは、クリスパーとは「分子のアーミーナイフである」というものだ。

 

 ダウドナ博士は軽妙に、こんな風に説明してくれている。

 この時クラスに説明したように、CRISPRは特定の二〇塩基のDNA配列に狙いを定め、その部位で二重らせんの鎖を二本とも切断するという主要な機能を持っていることから、自在な「分子のハサミ」にたとえられる。だがこの技術を使ってできる遺伝子編集は驚くほどいろいろあり、この理由からCRISPRはハサミというよりは、一つの分子機構が多様な機能を備えている「スイス・アーミーナイフ」といった方が近いだろう。(p138)

 クリスパーはオペ室で使うメスやハサミとは違う。それは分子であり、いくら目を凝らしても見えない遺伝子に干渉する力を持つのだという。主な機能が「切断」。遺伝子のある部分を切断し、そこが修復することをもって、結果として遺伝子が「編集される」というのだ。

 

 また別の捉え方でわかりやすかったのが、クリスパーは「品種改良の効率化」であるということだ。

 遺伝子編集と聞いて自分は、漫画「鋼の錬金術師」のキメラを想像した。例えば犬と人が融合するように、異なる生物の遺伝子が混ざり合うようなイメージだった。だがこうした技術は「トランスジェニック」と呼ばれており、その生物の遺伝子に干渉することで変化を起こすクリスパーはむしろ「アップデート」だという。

 

 これは「角のないウシ」の話がいい例えになるかもしれない。ウシは角があると互いを傷つける恐れがあり、人為的に取り除かなければならない。だがこれはウシにとって計り知れない恐怖と苦痛である。

 クリスパーを用いて、「角のある乳牛」の遺伝子を編集し、「もともと角のない肉牛」のDNAの配列と同じようにしてやれば、「角のない乳牛」が誕生する。そう、これは品種改良と同じだ。角のある乳牛ともともと角のない肉牛を何世代にわたって掛け合わせて生み出してきたものを、一足跳びに実現するというだけだ。

 だからダウドナ博士は、こんな風に問いかける。

 角のない乳牛は、従来方式の品種改良でも時間をかければいつか生み出されていた可能性があり、遺伝子編集はたんに同じ結果をはるかに効率的に実現したに過ぎない。もしもCRISPRや関連技術によって、除角のような残酷な慣習をなくし、抗生物質の使用量を減らし、家畜を致死的な感染から守ることができるというのなら、私たちはその技術を使わずにいられるだろうか?(p180)

現実になるかが問題じゃない。いつ起こるかだ

 上記、素人が気に入ったクリスパーのキーワードを挙げてみたけれど、本書ではその発見前史から、いかにして発見したか、その仕組みはどんなものか、詳細に綴ってくれている。クリスパーがそもそも細菌研究を端緒にしていたり、グローバルなネットワークで研究を進めたり、前半のパートから相当にエキサイティングだ。

 

 しかしながらダウドナ博士が読者に投げる最大のボールは、「遺伝子編集技術を社会の中でどう運用していくか」、そして、その問いに「読者のあなたはどんな風に考えますか?」というものだ。

 

 ダウドナ博士の「対話」への危機感は、随所に現れている。それは、遺伝子編集技術が「悪用」される前に、そしてそれによってこの技術が永遠に閉ざされる前に、対話を進めなくてはならないという危機感だ。ダウドナ博士の二つの言葉を引用したい。

(中略)この科学的発展の影響が全人類におよぶことを考えれば、できるだけ多くの分野に参加を呼びかけることが急務に思えた。さらに対話は今すぐ、技術の応用が進み制御が利かなくなる前に始めなくてはならない。(p14)

 ようやくわかってきた。問題は、遺伝子編集技術で人間の生殖細胞のDNAが変えられるかどうかではない。いつ、どのように変えられるのかが問題なのだと。(p239)

 遺伝子を自在に編集する技術を前にした時、「ヒトの細胞を編集する」という道に「絶対に進まない」ということはほとんど不可能だ。なぜなら、ヒトに応用することで、治療が困難だった難病が治療できるかもしれない。あるいは、その難病を、出生前にならないようにできる。だからそれはヒトへ応用されるかではなく、ヒトに「いつ」応用されるかの問題なのだ。

 

 たとえば、クリスパーで容姿や能力を高めた「デザイナーズ・ベイビー」を生まないか。性別や身体的特徴を操作することで、既に生まれている子どもへの臓器移植のためだけに存在する「救世主弟妹」を作り出すという発想もあるという。カズオ・イシグロ氏の「わたしを離さないで」の世界は、もはやSFではない。

 それが国家的に動員されない限り、まず起こり得ないが、最も忌むべき問題は「優生思想」である。遺伝子を編集することで、なんらかのハンディキャップのある人間が無価値として扱われる社会になっては、絶対にならない。

 

 しかし繰り返せば、クリスパーのヒトへの応用は「いつか」起こる。その「いつか」までに、この技術を「どう使うか」を語り合おうと、ダウドナ博士は強調する。

民主主義が科学技術を決める

 対話。ダウドナ博士が口をすっぱくして語るワードだ。クリスパーの濫用を防ぐのは、社会である。社会が「それは許されない」と宣言できなければ、誰かがその技術を善とはかけ離れた方法で使う。

 

 ダウドナ博士以前の科学者も、対話の試みを実践してきた。たとえばクリスパーよりはるか前に生み出された遺伝子組換え技術を巡り、科学者のほか、政府関係者、ジャーナリスト、法学者らを交えた「組み換えDNA分子に関する国際会議」(アロシマⅡ)が行われたのは、1975年だ。

 市民と科学者との繋がりを生んだ意味では有意義だったが、招待者限定だったり、科学者が参加者の大半だったり、まだまだ閉鎖的だった。この会議で、科学史家ベンジャミン・ハールバットという人が発したこの言葉がとても印象深い。

「(中略)私たちが思い描き、民主主義を通して表現する未来像こそが科学技術を決めるべきであって、その逆はありえない。科学と技術は社会のしもべだとよくいわれるが、その公約を重々しく受け止めてほしい。私たちの世界にとって何が正しく、何が適切か、また何が社会の倫理的基盤を脅かすか思い描くのは、民主主義の仕事であって、科学の仕事ではないのだ」

 私たちの世界にとって何が正しいか思い描くのは、民主主義の仕事だ。それは言い換えれば、私たち、この社会に生きる一人一人の仕事といっていい。

 

 クリスパーがどう使われるかは、まさに社会の写し鏡だろう。それが難病に苦しむ人を救うために使われるなら、社会がそれを望んだからだろう。反対に、人の能力を際限なく改変することをよしとする社会は、きっとそれ以外のネジも大きく吹っ飛んでいるに違いない。 

 だから、本書を通じて出会った問いを大切にしたい。遺伝子編集はどこまで許されるのか。どんな使い方であれば、人はもっと幸せになれるだろうか。

 

 考えていきたい。そして発信をして、対話をしていきたい。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

CRISPR(クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見

CRISPR(クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見

  • 作者: ジェニファー・ダウドナ,サミュエル・スターンバーグ,櫻井祐子,須田桃子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2017/10/04
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 本書を読んで最初に思ったことは、「これからの時代はサイエンスやテクノロジーの理解が大切になると言っていた成毛さんの話は本当だな」というもの。最新科学に恐れずに向かっていける羅針盤を学ぶために、成毛眞さんの「AI時代の人生戦略 『STEAM』が最強の武器である」は、めっちゃおすすめです。

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 科学研究が社会をどう変えるか、思考実験をするのにうってつけの最新SFが「Ank: a mirroring ape」だと思います。こちらはチンパンジー研究が大虐殺を引き起こすという話ですが、その筋道はなんとも理路整然で面白いです。

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